第4章 美しくなるということ

(2)「整形」の前にあるハードル

美容には化粧をはじめ、ときには日よけや食事の調整なども含まれるが、 「整形」と比べられることの多いもの、と言えばエステである。 脱毛のように、美容外科でできることの中にはエステで行われているものもある。 しかし、世の中の価値観はこの2つを同じように扱ってはいない。 エステに通っていることを公言する芸能人はたくさんいるが、「整形」となるとそうはいかない。 噂がたち仕方なく認めたというのはときどき聞くが、決して堂々ととしたものとは言えない。 「整形」したことをつつみ隠さず自ら話しているのは、豊胸手術を行った林葉直子、 もともと手術で作ったほおを除去した宍戸錠、そして前述のマイケル・ジャクソンが有名だ。 美容整形を行ったものの、美しさがなくても問題ない地位を築いている面々である。 一方、美を売りにする人気アイドルや女優たちの周囲には「整形」疑惑の噂が絶えない。 噂が生まれる裏には、築いてきたイメージを覆してやろう、というマイナスの動機があるのだろう。 噂とは、いい話はなかなか広まらないのに、良くない話はすぐに広がるものだ。
きれいになりたい、という希望は否定されるものではない。人にとって向上心とはなくてはならないものだ。 美容の中でもエステは向上心の表れという扱いを受けている。 化粧はたいていの女性が行うが、エステは金額的にも時間的にも厳しく、 人よりも美容に気を遣っている女性でないとなかなか行わない。エステとは化粧よりもワンランク上の努力を要するのだ。
これに対して「整形」は、様々なマイナス要素を含んでいる。
耳や鼻にピアスを開けることについて年輩の方はよく「親からもらった体に穴をあけるなんて…」という。 この考え方は、非常に古く根強い、儒教から来ている。孔子の教えの中に、 「身体髪膚之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは考の始めなり」という言葉がある(『考経』)。 これは、親からもらった体を傷つけないことが親孝行の第一歩なのだ、という意味である。 普段から孔子を尊敬しているわけではなくても、日本人には知らず知らずのうちに孔子の考えが染み付いている。 孔子の言いたかったのはもちろん整形手術で体にメスを入れるのは親不孝だということではない。 「毀傷」とは戦などで追う怪我のことであろう。つまり、親に心配をかけてはいけないということだ。 しかし、病気や怪我で心配をかけることが親不孝なら、 健康体にメスを入れることはなおさら親不孝である、という考えは納得できるものである。
「整形」をする人は、自分の容姿に何らかの不満があった人だ。 しかし、容姿に自信のない人は山ほどいる。100パーセントの自信を持つ人などいないのではないか。 前述(2章)の博報堂のアンケート結果では、「あなたは、自分の顔に不満な部分はありますか」という問いに対し、 女性93.8%男性60.0%が「はい」と答えている。 「いいえ」と答えた人も、自分は完璧な容姿を持っているのだと思っているのではなく、おそらく気にしていないということだろう。 男性より女性のほうの数値が高いことがそう物語っている。 しかし、容姿に不満があり、それを気にしている人は「整形」予備軍である、と安直に考えることはできない。 同じアンケートで「あなたは自分の顔を治したい(美容整形したい)と思ったことはありますか」という問いに 「はい」と答えたのは、女性35.7%男性14.5%である。 そして、このアンケートにはないが「美容整形をしたことがありますか」という問いがあれば必然的に数値はさらに下がるはずである。
「整形」は容姿に対しての不満がスタートラインだが、実際の手術までには超えなくてはならないたくさんのハードルがある。 金銭の問題、親の反対、医師や手術対する不安、周囲の目、などが挙げられる。 これら全てが解決できれば、「整形」できるのだろうか。これらは全て表面的な問題であり、最後は自分自身が納得できるかである。 いくら不満な点を改善するとは言え、元の自分がなくなることに対してどこか抵抗があるはずだ。 容姿に自信がなくても愛着はある。そういう人は「整形」というゴールには辿り着けないだろう。 「整形」をした人は、自分の顔に自信がなく、愛着さえも持てていないのではないか。 「整形」を決断するという行為は、良く言えば美しくなろうという前向きなものであるが、 悪く言えば元の自分を否定してしまった後向きな面もあるのだ。 先述のように、化粧やエステなどの美容法は向上心が生みだした努力である。 女優の米倉涼子は、第2章(2)で述べたドラマ『整形美人。』で主人公を演じたことで、 バラエティ番組出演時によくこんな質問をされていた。 「自分も整形してみたいと思いますか。」米倉の答えはいつもこうだった。 「整形するお金があるなら、その分でエステにたくさん通いたい。」 やはり「整形」に対する抵抗感はなくならないが、エステに通って自分を磨きつづけるのはとてもいいことだ、と言いたいような表情だった。 または、自分は整形はしたくないが、それは美しいから必要ないという意味ではない、 その証拠にエステに通うなど努力は惜しまないのだ、という意味も含まれているのだろう。
つまり、「整形」は、きれいになるための数ある美容法の中で“反則技”という扱いを受けている。 それを実行することで元の自分の容姿を否定したというマイナスのイメージが付いてくるからだ。 たとえ世の中の美の基準に当てはまらない容姿だったとしても、自分だけは自分自身の容姿に愛情を持ち大切にできる存在でありたい。

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