第4章 美しくなるということ

(1)美という価値観

美の基準は人それぞれの好み、また時代や国といった条件によっても違ってくる。 数値などによる明確な定義は決められないものだ。 以前読んだ漫画で、美の感覚が常識とは逆の村に迷いこみ、 普段「ブ男」という扱いを受けていた主人公がたちまち美男子として優遇され、 反対にいつも美男美女とされていた仲間たちがそれまでにないひどい扱われ方をされる、というストーリーがあった。 美の基準をはじめとした価値観はすべて、不安定で不確かなものなのだ。
絵巻物に残された平安時代の女性の姿は、絵に描かれたくらいなのだからおそらく美人として扱われていたのであろうけれども、 顔は丸くて眉は楕円形、目は線で描かれるほど細く、現代に生きていれば美しいという評価をされることはなかっただろう。
また、日本では高い鼻が美しいとされるが、欧米では鼻を低くする整形手術が盛んである。 もともとの平均的な顔の造作が異なるのだから、当然とも言える。 わざわざ低くするなんて欧米人はとんでもないことをする、と思ってしまうが、 その一方で、日本人は特有の黒い髪をわざわざ茶色や金色にしている。 日本では、欧米至上主義が強く、美というものの基準にも色濃く出ている。 白い肌、高い鼻、茶色や金色の髪、大きな目、長い手足。どれも、日本人ではなく欧米人の特徴であり、 自然のままでは手に入りにくいものばかりだ。だからこそ憧れ、ないものねだりをして、自分に加工を施す。 それがブリーチであったり化粧であったり、場合によっては整形手術であったりするのだ。
多くの人が美しくなりたいと願い、努力する。では、いったい誰のために美しくなりたいのだろうか。 日本では、女性の美とは男性のためのものだという考え方が過去に存在していたと言われる。 美だけではなく、女性という存在そのものが男性のためにあった。しかし両大戦間期に、 女性が男性に隷属していることや、女性だけに美しさが求められることに対して疑問が出始め、議論されるようになった。 そして男性の支配から独立し、美の呪縛から解放されようとした。 しかし、女性の社会進出がめざましい今でもなお、女性は美を追っている。 それは男性のためではなく自分自身のためなのである。そして近頃は新しい傾向として、男性にも美を追う姿勢が見られる。 男性用の化粧品やエステの広告をよく見かけるようになり、実際に眉をキレイに整えた男性が増えた。 女性も男性も美を目指す本当の男女平等の時代が近づいているのかもしれない。

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