現在、「整形」にとって“美容”が切り離せない存在となり、
いかにもここ数年の間に始まったかのように思う人も少なくないだろう。
ところが、形成外科のルーツは意外に古い。
形成外科の始まりとして有名であるのがタリアコッチである。
16世紀のイタリアはボローニアで、
タリアコッチという人が決闘で失ってしまった鼻に腕の皮膚を移植し再建できたのである。
しかし、それ以降形成外科は姿を消した。
再び登場し、そして発展するきっかけとなったのは戦争であった。
2度にわたる世界大戦において多くの負傷者が出たのは言うまでもないが、
その中には顔面外傷も多数含まれていたのだ。
その後、戦傷にかわり急激に増えた交通事故による顔面外傷、そしてやけど、
アザなどの腫瘍、生まれつきの奇形などを対象にして形成外科はさらなる発展を遂げた。
つまり、再建外科である。
それが、美容の目的で健康な状態の人に対して行われるようになったのが美容外科である。
戦後の日本でも、「美容整形」という看板が街に溢れたそうである。
「整形」は形成外科の一部であったと論じたが、この頃は形成外科じたいが確立されておらず、
美容目的に手術をする行為を「美容整形」と呼んでいたのである。
今でも、正式名称ではなく「整形」と呼ぶことが多いのはこのためである。
そして、「整形」に対していかがわしいイメージがまとわりついているのも、
この時代に大きな原因がある。「整形」は、現在と同様、当然ながら保険が利かない。
出産や歯の矯正なども同じである。つまり、儲かる商売ということだ。
専門の研修を受けていないインチキな医者と誇大広告に騙されて、泣くハメになる患者がいた。
当時標榜科として認められていなかった「整形」は広告規制も受けていなかったのだ。
1967年には、主婦が注射による豊胸術を受け死亡する事件が起きた。
それをきっかけに 「整形」規制のために形成外科を標榜科にすることになった。
標榜科によって確立されたのは再建としての形成外科であり、美容整形はただ規制の対象になった。
ところが1978年になって今度はいよいよ「美容整形」を標榜科することになった。
このとき名前は「美容外科」に決定され、独立を果たしたのだった。
しかし、形成外科(再建外科)と美容外科の境界線を明確にひくことはできない。
例えば、事故などでけがをし、鼻の形を治すことになったとする。
元通りの形にするのであれば再建だが、どうせメスを入れるのであれば元より高くしたい、
ということになれば美容外科の手術とも考えられるのである。
また、美容外科の技術は形成外科に基づいており、両方を看板に掲げるクリニックも珍しくない。
その方が信頼感を与えられる、という理由もあるだろう。
また、歯科や皮膚科を併せて名乗っている場合も多いが、その理由はほぼ同じであろう。