垣間見たオリンピック

 

「オリンピックとテレビ」 (2000年シドニー) 2000年10月

実を言うと、みんなが大騒ぎしてお祭り気分になっていた中で、私はオリンピックに大して関心を持てずじまいだった。

とはいえ毎日のように生中継され、ニュース番組で取り上げられ、新聞の一面を飾って、 家族と過ごしても学校に行ってもバイトに行っても話題はオリンピック、ともなると望まないでも情報は入ってくる。  

朝、学校に行くために乗る電車の中で、スポーツ新聞を読んでいるおじさんが何人かいる。 しょっちゅう私はそのスポーツ紙を盗み見ては(と言うより勝手に目に入る。)新しい話題を得る。 ある朝に見かけた記事はちょうど「オリンピックとテレビ」にピッタリくる記事だったので覗きこんで読んだ。

その記事によると、今回のオリンピックの放送を行っていて、NHKには2件の大きな出来事があり、 視聴者からの電話が殺到したそうだ。ひとつは、サッカーの試合でゴールした瞬間に、 実況していたアナウンサーが「ゴール!ゴール!ゴール!」と何度も何度もしつこく叫んでいたらしく、 『ゴールはうれしかったが、この実況で逆に興ざめした』という苦情の電話が多かったらしい。 もうひとつは、誤審と言われている柔道の篠原選手の試合のVTRの後に、 原稿を読まなければならない 有働由美子アナウンサー が泣いてしまったときだ。 しかしこちらは視聴者には好印象だったらしい。

私は、サッカーの方は見ていなかったが有働アナが泣いたところはたまたま見ていた。 他番組ではデーブ大久保がわんわん泣いていたそうだが、 何人かでワイワイやっている民放のオリンピック特別番組なら泣いたってどうということもないし、 逆に泣くということもシナリオどおりという感じだ。 しかし明らかに有働アナの場合は冷静に原稿を読まなければならない状況だったのに泣いてしまった。 「仕事としてオリンピックの試合を見ていても、ああやって感情移入して泣いてしまうときもあるんだなぁ」と思った。 私にとっても、驚きはしたが、好印象だった。

3年ほど前だったか、 「ニュースの女」というドラマが放送されていた。 主人公はアナウンサーで、ニュース番組生放送中に飛びこんできた臨時ニュースの原稿で、 結婚したばかりの夫とその前妻が一緒に交通事故で亡くなったことを知るが、 涙を流すことも番組を中断させることもなく、淡々と原稿を読む。そして後日、 「冷酷」だの「愛のない結婚」だのと週刊誌に書かれ、夫の、前妻との息子にもひどくののしられる…という第1話だった。 彼女は夫をちゃんと愛していたのだがそれでも仕事は仕事だからできた・・・。

今回の有働由美子アナウンサーに関して考えていると、このドラマを思い出す。 そして、やっぱりドラマの中だけの話だ、と実感する。赤の他人の試合で泣けてしまうのだから、 愛する夫の死を冷静に伝えるアナウンサーなんているはずないし、 原稿を読むだけのそんな機械みたいな人間が人の死などを毎日多くの視聴者に伝えているなんて怖い時代、来てほしくない。

サッカーに関してはあまり興味がないので、Jリーグはもちろん、ワールドカップでさえ見ていなかったのだが、 サッカーの実況なんていつも異様にテンションが高くてうるさい、というイメージがある。 それなのに今回は相当苦情が来たようだ。数分にわたって『ゴール!』と言う叫びを繰り返していたらしい。 しかし、このアナウンサーも仕事の域を超えて日本代表のゴールに興奮して感情がたかぶってしまった結果なのだから、 結局は有働アナと根本的な原因は同じである。ただ、視聴者にとって、感動の瞬間を不快なものに変える材料になったのか、 さらに感動させる材料になったのか、という違いだけなのだが、その違いは重要なものだ。

どうしてサッカーをあまり見ないのか、今回考えてみた。

サークル(野球)のときもバイトのときも、周りのみんなは心ここにあらず、だった。野球の試合をしているのに 「サッカー見たいから早く帰ろう。早く決着つけよう。」などと言い出す始末。

私がサッカー中継を見たいと思わないのは、単にサッカーに興味がないだけではない。 柔道にも興味はないしルールだってろくに知らないが、見ていて「おもしろい」と思えた。 サッカー中継は見ないけどサッカーの漫画なら読む。

サッカーの中継は見ていてわけがわからない。遠くのカメラから全体を映していても、 小さい豆粒が左へ右へと移動して、誰が誰だかわからないし、すごく上手なプレーなのか普通のことなのか、 よくわからない。詳しい人にはわかるのだろうが、私にはさっぱりだ。 漫画なら視点はプレーヤーのそばにあってわかりやすい。

柔道なら、詳しくない私でも見た瞬間に大体のことはわかるし、決着はすぐつくし、 1対1なので細かく見える。田村亮子選手の試合はいきなり決勝戦から見たので、 パッと決まって『金メダル獲得!』となったのだが、そこだけ切り取って見ただけでもちゃんと感動できて、鳥肌がたった。 今まで銀ばかりで悔しい思いをしてきたなんてそのときはちっとも知らなかったが 「世界一になるって、相当な苦労が今までにあったんだろうなぁ。」と単純に推測して簡単に感動していた。

そういえば、陸上競技のときのカメラは選手と一緒になって走っている(動いている)。 ボーッと見ているとわからないが、よく考えてみるとどこからどうやって撮っているのか不思議に思う映像もときどきある。 短距離走を普通に遠くから撮って選手に合わせてカメラを動かしたとしても、つまらない映像しかできないのだろう。 きっと、私の興味をそそらないサッカーの映像みたいに豆粒のようになってしまうのだろう。 いつからあんな機械ができたのだろうか。結構前からあったような気もする。 ドラマなどでは、線路のようなものを敷いて、 車輪付きの箱にカメラマンが乗ってもう1人が動かしながら撮影しているのはよく見るが、 それの速くて全自動式のバージョンなのか。

競技場の右上端と左上端をロープでつないでその間にカメラがぶら下がっているのを見かけた。 あのカメラはやっぱり動かすことが可能なのだろうか。槍投げなどの際に上からのアングルで撮るためなのだろうか。 私が見たのは1つだけだったがよく見ればもっとロープが張ってあっていくつもカメラがあったのだろうか。

オリンピックはもう終わったのに、テレビも週刊誌もまだオリンピック特集をしている。 本当に少ししか見なかったが、それでもなにか「嵐のように過ぎたなぁ」という感じがする。今は、嵐の後の片づけをしているようなものなのだろうか。それが終われば、次のオリンピックが迫るまで、シドニー五輪のことなんて思い出さないんじゃないかと思う。お祭りなんてそういうものなのだろうが、本当に何か、おどらされていた気さえして、むなしくなる。